【レンドルvsマッケンロー】

 

※データはATPより引用
Ivan Lendl (USA) vs. John McEnroe (USA)
1980-03-24 Milan Indoor Carpet SF John McEnroe (USA) 6-3 1-6 6-2
1980-08-25 U.S. Open Hardcourt QF John McEnroe (USA) 4-6 6-3 6-2 7-5
1981-05-25 Roland Garros Clay QF Ivan Lendl (USA) 6-4 6-4 7-5
1981-07-09 Davis Cup (WG-QF) TCH vs. USA Hardcourt RR Ivan Lendl (USA) 6-4 14-12 7-5
1982-01-11 New York Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 6-4 6-2
1982-04-19 Dallas Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 6-2 3-6 6-3 6-3
1982-08-09 Toronto Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-4 6-4
1982-08-30 U.S. Open Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-4 6-4 7-6
1983-01-18 The Masters Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 6-4 6-4 6-2
1983-01-31 Philadelphia Indoor Carpet F John McEnroe (USA) 4-6 7-6 6-4 6-3
1983-04-25 Dallas Indoor Carpet F John McEnroe (USA) 6-2 4-6 6-3 6-7 7-6
1983-06-20 Wimbledon Grass SF John McEnroe (USA) 7-6 6-4 6-4
1983-09-19 San Francisco Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 3-6 7-6 6-4
1984-01-09 The Masters Indoor Carpet F John McEnroe (USA) 6-3 6-4 6-4
1984-01-23 Philadelphia Indoor Carpet F John McEnroe (USA) 6-3 3-6 6-3 7-6
1984-03-05 Brussels Indoor Carpet F John McEnroe (USA) 6-1 6-3
1984-05-07 Forest Hills Clay F John McEnroe (USA) 6-4 6-2
1984-05-21 World Team Cup Clay F John McEnroe (USA) 6-3 6-2
1984-05-28 Roland Garros Clay F Ivan Lendl (USA) 3-6 2-6 6-4 7-5 7-5
1984-08-27 U.S. Open Hardcourt F John McEnroe (USA) 6-3 6-4 6-1
1985-01-07 The Masters Indoor Carpet F John McEnroe (USA) 7-5 6-0 6-4
1985-05-06 Forest Hills Clay F Ivan Lendl (USA) 6-3 6-3
1985-05-20 World Team Cup Clay F Ivan Lendl (USA) 6-7 7-6 6-3
1985-08-05 Stratton Mountain Hardcourt F John McEnroe (USA) 7-6 6-2
1985-08-12 Montreal Hardcourt F John McEnroe (USA) 7-5 6-3
1985-08-26 U.S. Open Hardcourt F Ivan Lendl (USA) 7-6 6-3 6-4
1987-08-31 U.S. Open Hardcourt QF Ivan Lendl (USA) 6-3 6-3 6-4
1988-05-23 Roland Garros Clay R16 Ivan Lendl (USA) 6-7 7-6 6-4 6-4
1989-01-16 Australian Open Hardcourt QF Ivan Lendl (USA) 7-6 6-2 7-6
1989-02-27 Dallas Indoor Carpet SF John McEnroe (USA) 6-7 7-6 6-2 7-5
1989-08-14 Montreal Hardcourt F Ivan Lendl (USA) 6-1 6-3
1989-11-27 New York Indoor Carpet RR Ivan Lendl (USA) 6-3 6-3
1990-02-12 Toronto Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 6-3 6-2
1990-06-11 London / Queen's Club Grass SF Ivan Lendl (USA) 6-2 6-4
1991-08-19 Long Island Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-3 7-5
1992-07-20 Toronto Hardcourt QF Ivan Lendl (USA) 6-2 6-4
Ivan Lendl (USA) leads 21:15
Hard: Ivan Lendl (USA) leads 9:4
Clay: Ivan Lendl (USA) leads 5:2
Grass: Tied 1:1
Carpet: John McEnroe (USA) leads 8:6

【1980年代のテニス界に君臨した両選手】

レンドルの21勝15敗。
ある一時期にどちらかが連勝するという状態が続いている。

「レンドルvsコナーズ」のように、前半がマッケンロー
後半がレンドルという区分けになると思っていたが、意外とそうではなかった。

レンドルマッケンロー対策として、トップスピンロブを始め
様々な技術の習得を行って対抗手段を身に付けていったのだが、
既に最初期から互角に戦っていたことがわかる。

また、マッケンローにとってレンドルは天敵というイメージがあったが、
なかなかどうして、マッケンローも健闘している。
既に圧倒的にランク差がついていたと思われる1989年にもマッケンローが勝利している。



【真逆の2人】
 
この2人は他のどの組み合わせよりも対照的で面白い。

レンドルが右利きでマッケンローが左利き。
グランドストローカーネットプレイヤー
ビッグサーブの持ち主と柔軟なサーブの持ち主。
ガットをガチガチに固く張ったレンドルと極限まで緩く張ったマッケンロー
冷徹で無表情のテニスマシーンと情熱的で癇癪持ちの人気プレイヤー
努力型天才型
etc.

ここまでタイプが異なると、互角の戦いになった時の見ごたえが充分なので、
よい試合になることをつい期待してしまうのだが、
実際にはどちらかが一方的に勝ってしまうことのほうが多い。

ただ、だからこそ、稀に行われる互角の勝負は歴史に残る名勝負となるのである。
1984年の全仏決勝は、大会史上屈指の試合と言っていいだろう。
何故か日本では、全仏の知名度がウィンブルドンに比べて低く、
更にレンドル自身の不人気のせいもあって、あまり取り上げられることがないのが残念だ。

2人の年齢差は僅か1歳であり、
プロとしてのキャリアもほとんど並行している。

《キャリア比較》
マッケンローレンドル
プロデビュー1977年2月1978年6月
最初のタイトル1978年9月1980年4月
最後のタイトル1991年2月1993年10月
最後の試合1992年12月1994年8月
コナーズとの対戦20勝14敗22勝13敗

ただ、トップに君臨する時期は少し違う。
2人は同時期にトップ争いを行ったこともあったが、
レンドルが最初にグランドスラムで優勝した1984年が、
マッケンローにとっては最後にグランドスラムに優勝した年となっている。
この1984年を境に、2人の力関係が明確に入れ替わったと言えるだろう。
80年代前半がマッケンロー、後半がレンドルの時代と言っていい。

ただし、80年代前半のレンドルはトップ争いに加わっていたが、
80年代後半のマッケンローはトップ選手ではなかった。
ここに2人の差があるといえる。この差が響いてか、キャリア全体としては、
総じてレンドルの成績がマッケンローのそれを上回っている。
(詳細は当サイト内【データ分析】の各項目を参照のこと)



【不世出の天才、ジョン・マッケンロー】

マッケンローは不世出という言葉が最もしっくり来る選手だ。

コナーズレンドルは、プレースタイルにおいて革命をもたらし、
それ以降のテニス界を大きく変えていったが、
マッケンローの場合、史上最高のネットプレイヤーという評価は確実であるものの、
後の多くのネットプレイヤー達の模範にはならなかった。

その奇跡的なタッチは誰もが憧れる最高のショットだったが、
彼以外には不可能なプレーであり、結局誰も参考にできなかったからだ。

しかし、テニス界に残した業績と人々に刻み付けた記憶は非常に大きい。
未だマッケンローのプレーこそ最高と評する声も根強い。



【プレースタイル】

サウスポーから繰り出される多彩なサーブはそれまでにない衝撃をもたらした。
特にデュースコートでの、通常の立ち位置よりもやや外側に立ち、
相手のフォアにワイドに決めるスピンサーブは必殺の一撃だった。
スピードそのものは決して最速ではなかったが、
多彩なスピンをかけ、広角に打ち込むサーブは相手の態勢を完全に崩すことができた。
重要なのはスピードではなく、なのだということを教えてくれるショットだった。

ストロークマッケンローの弱点と考えられているが、意外とそうでもない。
特にフォアハンドは緩急織り交ぜた優れたショットだった。
リターンやアプローチショットで魅せる「緩急の緩」は絶妙の味だった。
そして強打も、コートの後ろからでも充分エースを取れる威力があった。

また、恐らくマッケンロードライブボレーの第一人者でもあっただろう。
ドライブボレーとは、ノーバウンドのボールをダイレクトにトップスピンで叩く豪快なショットだ。
パワーと技術が備わっていないとできないプレーだと言える。
後にレンドルアガシらが多用するようになったショットだが、
ネットプレイヤーであるマッケンローによって使われ始めたショットだ。


一方バックハンドは、やはりフォアに比べると威力が落ちる。
しかし柔らかいショットに関しては、フォア以上に優れたものだった。
通常片手打ちバックハンドは、速い球に対する返球としてスライスを使う。
マッケンローもまた巧みにスライスを使ったが、
それ以外に一味違う打ち方も持っていた。
ラケットを横に寝かせて腕ごと前に押し出すというもので、
打点は体の前になり、回転もスライスではなく、順回転がかかる。
ブロックショットなのにトップスピンという離れ技である。
この打ち方では体重がそのままボールに乗るのでフルスイングせずに重い球が打てる。
後にベッカーがこれに近い打ち方をすることになる。

マッケンローといえばネットプレー。それも芸術的なものが思い浮かぶ。
フォームが綺麗なわけではないので、打ち方を見てるだけでは何故そうなるのかよくわからないが、
ボールは不思議な動きでいつのまにコートに収まってるという現象が起きる。
このあまり綺麗でないフォームと球筋とのギャップが奇跡を感じさせた部分もあるのかもしれない。
ボレーそのものは、例えばエドバーグのものと比べると、威力に勝り、スピードで劣る。
マッケンローのボレーは、押し出す動作が大きく体重の乗った球となる。自然と重いボールになるのだ。
コントロールも抜群なので、球足の長い、深いボレーに有効な球だと言える。
その一方でエドバーグの球ほど広角に打ち分けるタイプのものではなかった。
エドバーグのボレーはスピードはあるが球そのものは軽いので相手に追いつかれない必要があったのだ。


マッケンローは優れたフットワークを持っていたが、俊足といえる選手ではなかった。
多くのテニスゲームでは左右の動きと前後の動きが別に設定されていて
そのほとんどで、左右は最も遅く前後は最も速いというデータ設定になっていた。
ゲーム上でマッケンローを再現するには正しい判断のようだが、厳密にいえば正確なデータでないといえる。
たしかに前後の動きは速かったが、最速というものではなく、
緩くてもコントロール抜群のアプローチや広角に打てるサーブが優れたネットダッシュを可能にしていた。
また逆にベースライン上のコートカバーは、通常思われているよりもずっと優れており
ネットに出れば簡単に決まるのに、意地でボルグレンドルを相手に
ストローク戦に持ち込むシーンもしばしば見受けられた。

ネット際での守備範囲の広さは、上背の差でエドバーグほどではなかったといえる。
しかしそれでも体正面の球に対しては抜群に強く、届いてさえしまえば絶対に返球できるという
その脅威のパフォーマンスはさすがに天才を感じさせるものだった。


ネットプレーに特化したマッケンローのスタイルは
80年代後半のスピードテニス時代から見るとやや旧式と感じられてしまう部分もあるのは事実だ。
しかしそれでも引退直前の1992年全豪でベッカーを破るなど
最後まで予想外の活躍をしてくれる選手だった。
レンドルには無い意外性を持っていたといえる。
改めて天才というにふさわしい選手だったといえる。


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