【運命聴き比べ解説全文】


●はじめに
 当CDでは、解説文を読み上げ音声にして収録しています。
そのため、解説と実際の音源とがほぼ交互に再生されます。
解説はこのブックレットに記述してある文と同じですので飛ばしていただいても構いません。
お好みに合わせてお楽しみ下さい。

●「運命」冒頭聴き比べ
 ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」作品67。
今回はこのクラシックで最も有名な曲の冒頭部分を聴き比べてみたい。
「ジャジャジャジャーン」で有名なこのフレーズは、
ベートーヴェン自身「運命はかく扉を叩く」と語ったと伝えられることから、
わが国でも「運命」という愛称で広く親しまれている。

●楽譜の確認
 以下の該当部分の楽譜を参照いただきたい。





 口三味線でいうところの「ジャジャジャジャーン」が2回繰り返される。
注目される部分は、「ジャーン」の部分にフェルマータが付いているということ、
そして2度目の「ジャーン」が1度目よりも1小節長くなっているという点である。
運命の冒頭部を聴き比べるにおいて、この2点は非常に重要なポイントとなる。

フェルマータは音楽用語では「音符を程よく伸ばす」という意味になる。
伸ばすと言ってもどの程度伸ばすのかということになるが
大体「倍」程度というのが一般的な解釈になるだろう。
つまりジャーンは最初は2倍、2回目は3倍に伸ばすのが自然ということになる。
ただし、曲によってこの解釈が固定でないのはもちろんである。

運命においてはどう解釈されてきたのだろうか。


●19世紀的演奏
 19世紀、ベートーヴェンの存在は神格化されていった。
楽聖ベートーヴェンが「運命はかく扉を叩く」と言ったからには、
このフレーズは人知を超える何かを表現しているはずだった。
その偉大な精神性を表現するためには、
フェルマータの長さも通常の2倍ではダメで、
もっとずっと長く取られていった。
特にベートーヴェンの生地ドイツではこの傾向が顕著であった。
次に代表的ないくつかの演奏を聴いてみよう。

《音源1♪》
演奏:フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル(1947年)
 ドイツ最大の指揮者フルトヴェングラーの戦後初のライブ録音である。
この演奏会は戦後の混乱で社会が疲弊していたドイツにおける最大級のイベントであった。
聴衆の中には履いている靴を売ってまでもチケット代を工面した者もいたという。
 そうした様々な要素が入り込んでか、演奏は1つ1つの音に魂が込められているようであり
肝心のフェルマータも非常に長く取られている。最初が5倍、2回目が約7倍ほどであろうか。
オーケストラの響きも実に重厚で、これぞドイツという音になっている。
 フルトヴェングラーの演奏こそは19世紀的演奏の究極であり、
現在に至っても最大級に評価されている歴史的名演と言えるだろう。

《音源2♪》
演奏:トスカニーニ指揮/NBC交響楽団(1939年)
 フェルマータの長さは楽譜どおりとまでは行かないが、
フルトヴェングラーに比べると常識的で、最初が4倍、2回目が5倍ほどとなっている。
テンポも速めでほぼベートーヴェンの指定どおりである。
 トスカニーニはイタリアに生まれ、アメリカで活躍した指揮者だった。
ベートーヴェンの生地から離れていたこともあって客観的な解釈を行うことができたのだろう。
 戦前に録音されたこの演奏は、当時から絶賛され、
長くフルトヴェングラーと評価を真っ二つにした東西の横綱的な存在であり続けた。

《音源3♪》
演奏:ワルター指揮/コロンビア交響楽団(1959年)
 フェルマータが非常に長いが、最初のフェルマータが2回目よりも長く取られているのは印象的である
。運命の主題は、ただ扉の音を表現しているわけではなく、全曲を貫く重要なテーマになっている。
そのためフェルマータを長く伸ばしてしまうと、曲は寸断されてしまい、統一感が損なわれてしまう恐れがある。
2回目のフェルマータを短く切り上げることで楽節を切れ目なく続けさせ流れを重視した演奏だといえるだろう。


●20世紀的演奏
 20世紀後半に入ると20世紀生まれの指揮者が活躍しはじめた。
それと同時に演奏にも新しい解釈が持ち込まれることになった。
何といってもその代表は帝王カラヤンだろう。

《音源4♪》
演奏:カラヤン指揮/ベルリン・フィル(1962年)
 フェルマータは最初が2倍、2回目が3倍と、ほぼ楽譜通りである。
音はフルトヴェングラーの重厚さを継承しているが楽譜の解釈はトスカニーニ型であり、しかも更に理詰めである。
それまでのフェルマータに比べれば短すぎると感じるかもしれないが、これが楽譜の指定である。
この理詰めで非の打ち所のない完璧な演奏は20世紀のスタンダードとなった。
ただしフルトヴェングラーの精神性とトスカニーニの厳格さを手軽にまとめてしまった感もあり
その人工的で機械的な演奏にしばしば批判の声もあげられた。

《音源5♪》
演奏:フリッチャイ指揮/ベルリン・フィル(1961年)
 20世紀生まれの指揮者の中だが、カラヤン型にはならず
フルトヴェングラーの要素を残した演奏の例である。
テンポは遅く、1音ずつ噛みしめるように進んでいく。
しかしフェルマータはフルトヴェングラーほどには強調されず
トスカニーニとほぼ同じ長さ程度に収まっている。

《音源6♪》
演奏:クライバー指揮/ウィーン・フィル(1974年)
 カラヤン型ではあるがそれほど重くならず、より疾走感が感じられる演奏である。
フェルマータはこの時代としてはかなり長めだが歯切れのいいテンポにより間伸びした感じを与えていない。
楽譜に忠実であることが優先された時代にあってこの長さのフェルマータはかなり珍しい自由な表現だといえる。
カラヤンとは別の方法でトスカニーニとフルトヴェングラーのあいだを取った演奏と言えるだろう。
 この演奏は登場時から非常にセンセーショナルであり、今日も尚多くの愛好家から絶賛されている。


●古楽器の演奏
 20世紀末期に入ると多くの古楽器団体が登場し始めた。
現在使われている楽器は全て時間をかけて進化してきたものであり、
ベートーヴェンの時代に使われていたものとは材質も形も異なっている。
ベートーヴェンの音楽を再現するには当時の楽器を使うべきであるという信念に基づき、
その忠実な再現を目指して結成されたのが古楽器団体である。

《音源7》
演奏:ガーディナー指揮/オーケストラ・レボリューショナル・エ・ロマンティック(1994年)
 楽器の響きが随分と違っていて新鮮である。
フェルマータの長さもカラヤンの解釈に準じていて楽譜の指定どおりである。
古楽器による演奏は音量や表現の幅が少なく、きびきびとした乾いた音が特徴となっている。

《音源8♪》
演奏:ブリュッヘン指揮/18世紀オーケストラ(1990年)
 フェルマータは気持ち長く引き伸ばされている。
古楽器団体の多くはガーディナーのような理論型の解釈を行ったがブリュッヘンはもっと自由な演奏を行った。
そのスタイルから古楽のフルトヴェングラーともいわれる。


●21世紀的演奏
 古楽器の隆盛により、一時期ベートーヴェン演奏は古楽器でなくてはならないという風潮さえあった。
しかし現代楽器にも魅力はあり、それを再確認する動きも21世紀になると高まり始めた。
そうした中で、現代オーケストラによる古楽器的な解釈を取り混ぜた折衷型の演奏が登場し始めた。

《音源9♪》
演奏:アバド指揮/ベルリン・フィル(2000年)
 オーケストラはベルリン・フィルだが、かつての重厚な音はなりをひそめ、軽量で快活な響きになっている。
フェルマータはガーディナーに近く、完全に古楽器的な解釈になっている。
伝統的なドイツのオーケストラが古楽アプローチをみせたということで話題になった演奏である。

《音源10♪》
演奏:ラトル指揮/ウィーン・フィル(2002年)
 こちらも伝統的なオーケストラによる古楽的アプローチの演奏である。
解釈はどちらかといえばブリュッヘン的で、フェルマータの長さもそれなりに保たれている。
ラトルは現代楽器の指揮者であると同時に古楽器にも長じており
両方を得意とする最初期の指揮者だといえる。つまりこの演奏は
現在楽器と古楽器を融合した21世紀的演奏の代表といえるのかもしれない。


●オマケ
 これまで時代に沿って10の演奏を選出してきたが
 その他に注目の演奏をいくつかピックアップしてみた。

《音源11♪》
演奏:ニキシュ指揮/ベルリン・フィル(1913年)
 運命の最古の録音。歴史的価値は大きいが当時の録音技術には限界があったため、
弦楽器の人数は減らされ、ホルンは後ろ向きで鏡を見ながら演奏したといわれている。

《音源12♪》
演奏:リヒャルト・シュトラウス指揮/ベルリン国立歌劇場(1928年)
 大作曲家でもあるシュトラウスが残した貴重な録音。
その速いテンポはシュトラウス・テンポと言われて有名だった。
フェルマータは非常に長く取られている。これが当時の標準だったのかもしれない。


《音源13♪》
演奏:バーンスタイン指揮/ウィーン・フィル(1977年)
 カラヤンのライバルであったバーンスタインの演奏。
カラヤンに比べれば遅めのテンポでフルトヴェングラーの名残りを見せているが
フェルマータを速めに切り上げているのは時代を反映していて興味深い。

《音源14♪》
演奏:チェリビダッケ指揮/ミュンヘン・フィル(1992年)
 こちらもカラヤンの対抗馬の一人。遅いテンポで有名な幻の指揮者チェリビダッケの演奏。
反時代的な演奏を期待したが、意外にも丁寧で聴きやすい演奏になっている。
フェルマータはバーンスタインよりも少し長いくらいで、
テンポが遅いことを除けば、20世紀的演奏の典型といえるだろう。


●最後に
 当CDでは演奏史における代表的な録音をいくつか取り上げたが
現存する同曲の録音はまだまだ多くとても全てを紹介しきれるものではない。
しかも本来「運命」は冒頭部だけではなく、全曲にわたって聴き所の詰まった名曲である。
当CDをお聴きになり、少しでも興味をもたれたら更に多くの演奏に耳を傾けていただきたいと思う。
ここで取り上げなかった演奏にも傾聴に値するものは非常に多い。
そして今後登場するであろう新たな録音にも一体どんな解釈が持ち込まれるのか興味は尽きない。
 これほどの多様性を備えてなお、新たな可能性をも秘めるベートーヴェンの音楽とは
 どれほど偉大なのだろうか。さながら汲み尽きることのない不滅の泉といえるだろう。


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