【レンドルvsベッカー】

 

※データはATPより引用
Boris Becker (GER) vs. Ivan Lendl (USA)
1985-07-22 Indianapolis Clay SF Ivan Lendl (USA) 5-7 6-2 6-2
1985-10-21 Tokyo Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 6-3 7-6
1985-11-11 Wembley Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 6-7 6-3 4-6 6-4 6-4
1986-01-13 The Masters Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 6-2 7-6 6-3
1986-03-24 Chicago Indoor Carpet F Boris Becker (GER) 7-6 6-3
1986-06-23 Wimbledon Grass F Boris Becker (GER) 6-4 6-3 7-5
1986-08-04 Stratton Mountain Hardcourt F Ivan Lendl (USA) 6-4 7-6
1986-10-13 Sydney Indoor Hardcourt F Boris Becker (GER) 3-6 7-6 6-2 6-0
1986-12-01 New York Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 6-4 6-4 6-4
1987-11-30 New York Indoor Carpet RR Ivan Lendl (USA) 6-4 6-7 6-3
1988-06-20 Wimbledon Grass SF Boris Becker (GER) 6-4 6-3 6-7 6-4
1988-11-28 New York Indoor Carpet F Boris Becker (GER) 5-7 7-6 3-6 6-2 7-6
1989-06-26 Wimbledon Grass SF Boris Becker (GER) 7-5 6-7 2-6 6-4 6-3
1989-08-28 U.S. Open Hardcourt F Boris Becker (GER) 7-6 1-6 6-3 7-6
1990-02-19 Stuttgart Indoor Carpet F Boris Becker (GER) 6-2 6-2
1990-06-11 London / Queen's Club Grass F Ivan Lendl (USA) 6-3 6-2
1990-10-08 Tokyo Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 4-6 6-3 7-6
1990-11-12 Frankfurt Indoor Carpet RR Boris Becker (GER) 1-6 7-6 6-4
1991-01-14 Australian Open Hardcourt F Boris Becker (GER) 1-6 6-4 6-4 6-4
1992-08-31 U.S. Open Hardcourt R16 Ivan Lendl (USA) 6-7(4) 6-2 6-7(4) 6-3 6-4
1993-10-11 Tokyo Indoor Carpet QF Ivan Lendl (USA) 6-3 1-6 7-6(2)
Ivan Lendl (USA) leads 11:10
Hard: Boris Becker (GER) leads 3:2
Clay: Ivan Lendl (USA) leads 1:0
Grass: Boris Becker (GER) leads 3:1
Carpet: Ivan Lendl (USA) leads 7:4

【パワーテニスの到来】

レンドルの11勝10敗
ほぼ互角の勝負だ。スコアも競ることが多かった。

2人はサーブストロークとも強烈で、
それまでのテニスにはないパワーショットの応酬が繰り広げられた。
その打ち合いは見ごたえ満点だった。

レンドルのパスとベッカーのダイビングボレーの対決は最高で、
もしも豊富な映像が手元にあれば、このシーンだけを抜き出した
究極のハイライトシーンを作りたいと願うくらいだ。

特に両者が得意としたインドア・カーペットでは激しい戦いとなった。
中でも1988年11月のマスターズは代表的な激戦としてあげられる。
この時のレンドルは長く欠場していた後の怪我上がりだった。
またベッカーも年間通じて思ったように活躍できない年だった。
両者共に不本意なシーズンを送っていたわけだが、その年最後の大会で、
それまで鬱憤を晴らすかのような実に激しい戦いが披露された。



【グランドスラムでは】

 
グランドスラムではベッカーの5勝1敗。
特にウィンブルドンでは3戦3勝と圧倒している。

テニスと言えばグランドスラム、グランドスラムと言えばウィンブルドン。
まず何をおいてもウィンブルドンの結果はクローズアップされる。

レンドルもウィンブルドンのタイトルが欲しかった。
「今までの全てのタイトルを返上してもいいからウィンブルドンが欲しい」
とまで語っていた。

そのレンドルの前に何度も立ちはだかったのがベッカーだった。
この意味で、ベッカーレンドルの壁だったといえる。
一般にベッカーレンドルの天敵であるかのように考えられるのは自然のことである。



【グランドスラム以外では】

 
しかし、テニスと言えばウィンブルドンという安易なイメージは、
全体像を見えにくくしてしまう弊害を持っている。

前述の通りベッカーはある意味レンドルの壁だった。しかし、
ウィンブルドンに限ればそうでも、キャリアトータルでは決してそうではない。

というのも、ベッカーにとってもレンドルが壁だったからだ。
特に年末に行われるランキング上位を狙う対戦では、
ベッカーはことごとくレンドルに退けられていた。
ようやく勝てたのが前述の1988年だった。
ただこの時はランキング1位をかけた戦いではなく、
直接対決で1位をかけ、ベッカーが勝利するまでには更に時間がかかり、
1991年の全豪まで待たねばならなかった。

また、ベッカー得意の芝でレンドルが1勝している点には注目だ。
この時のレンドルは、全仏を辞退までして芝対策をしていた時期だった。
結果は目を見張るほどのレンドルの圧勝となった。
一方、クレーコートでの対戦は最初の一回だけだった。
クレーではベッカーがなかなか勝ちあがらなかったのも原因だといえる。



【ベッカー最強説の検証】


ベッカーは人気が高かった。今もってベッカー最強説の声もある。
ウィンブルドンでの衝撃的なデビュー、それまで誰も打たなかったビッグサーブ、
何でもこなすオールラウンドなプレーなど、多くの強烈な印象を残している。
勝つときはとことん勝つので、強さのイメージは抜群だった。

しかし、キャリアトータルの成績を見てみるどうだろうか。
当サイトの【総合結果】では7位となっている。
これは歴史上のプレイヤーとして充分素晴らしい成績だと言えるが、最強とするにはもの足りない。
ベッカーは衝撃的な強さを見せることもできたが、ずっと勝ち続ける選手ではなかった。

6度のグランドスラムやランキング1位経験など見事な戦歴を持つものの、
ベッカーならばもっとできたはずだという意味で、
あえて、記録ではなく記憶に残るプレイヤーだったと言いたい。



【ベッカーという選手】


波の激しい選手だ。負けても強いイメージが崩れないのは面白いが、
それは本調子でなく負けるからで、不調が多かったこと表している。

他の選手との対戦成績にも大きく特徴が出ている。


最大のライバルというべきエドバーグには対戦成績で圧倒していた。
(詳細は【対決!ベッカーvsエドバーグ】を参照)


同タイプのサンプラスとは激しい戦いとなった。
特にインドアでは7勝6敗という大熱戦で、90年代屈指の好カードとされた。
しかしトータルの対戦では7勝12敗だった。つまりインドア以外のコートでは全敗していたのだ。
3度あった得意のウィンブルドンはもちろん、
1度だけあったクレーコートの対戦でもサンプラスが勝利している。

 
イバニセビッチとは10勝9敗と互角だったが、シュティッヒに対しては8勝4敗と大きくリード。

   
また、クーリエには6勝1敗、チャンには5勝1敗と圧倒していたが、アガシには4勝10敗と苦手にしていた。

このように、同じタイプと思える選手でも、勝ち越したり負け越したり、とにかく波が激しいのがわかる。



【プレースタイル】


ビッグサーブを主体としたオールラウンドプレイヤー
1990年代のテニス界を席巻したこのプレースタイルの元祖ベッカーだ。

徹底的なパワーの概念をテニスに持ち込み、コナーズ以上にテニスから優雅さをかき消した選手だった。
しかし、サーブ、ストローク、ボレーと何でもこなす優れたプレースタイルは、
その後のテニス界を大きく変えていった。
ベッカーがいなければ、1990年代のテニスはありえなかっただろう。

あまりの威力に「ブンブンサーブ」と名づけられたフラットサーブは、
グラスやカーペットなど球足の速いコートで特に有効だった。
右足着地という現在ではあまり見られないオーストラリアスタイルのフォームだが、
この打ち方はサービス後のダッシュには向かないものの、より高い打点でボールを打つことができた。
特徴的な厚いグリップは、重い球を打つのに効果的だった。
もちろんサーブは速かったが、「スピード」というよりも「威力」という感じだった。

デビューの頃は、セカンドサーブも強烈だった。それはもはやセカンドサーブではなく、
もう一度ファーストサーブを打つというギャンブル的なもので「セカンドファースト」などと呼ばれた。
その後、スピンをかけたセカンドサーブをマスターするが、やはりフラットサーブこそが最大の武器だった。


ストロークも強烈だった。
一般的にベッカーと同じような速いコートを得意とするプレイヤーはフラット系の球筋を使うのが常だが
ドイツは元々クレーコートが多くベッカーはタイプ的にはその系統を受け継いでおり
トップスピンをしっかりとかけた打ち方を基調としていた。
一方で速いコートで有効な、よりコンパクトなショットも使いこなした。

フォアハンドは、振りがやや大きめで、回転過多とも言えたが、非常に力強く、
特に肩の上から振り下ろすショットは強烈で、どのストローカーにも負けない武器となった。
一方、低い球や速い球など、よりコンパクトなスイングが必要とされる場面においては
バックハンドほどの洗練さはないとされ、しばしばリターンにおいてバックより劣る部分と評された。


バックハンドは、やはりフォア同様、スピンをかけた打ち方だった。
肘を支点にした、フォアよりもコンパクトなスイングのため、
ハードヒットするにはフォアほどの威力は無かった。しかしこのスイングの利点を最大限に活かし、
マッケンローも多用した順回転のかかる体重の乗ったブロックショットを使いこなした。
このショットは速い球や低い球に対しての適正が高く、リターンやパスで絶大な威力を発揮した。
ストレート方向へのランニングパスベッカー得意の決め球だった。
スライスも使ったが、ベッカーのバックハンドといえば、なんといってもこのスピンショットだった。


ボレーも非常に上手かった。
長身を活かしたスマッシュや、コナーズ顔負けのダイビングボレーなど豪快なプレーを見せる一方、
足元の球や正面の球も柔軟に処理してみせた。
トッププロがボレーででフォアとバックのグリップを変えるのは珍しいが
ベッカーは例外的に両方のグリップを器用に使い分けることができた。

足は遅くはなかったが、それ程速い選手でもなかった。
ドタドタと動く感じで、雨のウィンブルドンではよく滑ったりもした。
しかし、転びながらも果敢にラケットを出して返球する姿にはスター性を感じさせた。
ネットダッシュに不利なサービスフォームでありながら
サーブアンドボレーをこなした点を見ても、動きの質は高かったと言える。


【コラム】
【対決!ベッカーvsエドバーグ】【ビッグサーバーの歴史】 も要チェック!

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