【レンドルvsコナーズ】

 

※データはATPより引用
Ivan Lendl (USA) vs. Jimmy Connors (USA)
1979-08-06 Indianapolis Clay QF Jimmy Connors (USA) 6-2 7-6
1980-02-25 Memphis Indoor Carpet R16 Jimmy Connors (USA) 6-2 6-3
1980-04-28 Dallas Indoor Carpet SF Jimmy Connors (USA) 6-4 7-5 6-3
1980-07-28 North Conway Clay SF Jimmy Connors (USA) 6-4 6-2
1980-08-18 Cincinnati Hardcourt QF Jimmy Connors (USA) 6-2 6-0
1981-01-12 New York Indoor Carpet RR Jimmy Connors (USA) 7-6 6-1
1981-02-16 La Quinta Hardcourt F Jimmy Connors (USA) 6-3 7-6
1981-07-09 Davis Cup (WG-QF) TCH vs. USA Hardcourt RR Jimmy Connors (USA) 7-5 6-4
1982-08-16 Cincinnati Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-1 6-1
1982-08-30 U.S. Open Hardcourt F Jimmy Connors (USA) 6-3 6-2 4-6 6-4
1983-01-18 The Masters Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 6-3 6-1
1983-06-06 London / Queen's Club Grass SF Jimmy Connors (USA) 6-0 6-3
1983-08-08 Montreal Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-1 6-3
1983-08-29 U.S. Open Hardcourt F Jimmy Connors (USA) 6-3 6-7 7-5 6-0
1984-01-09 The Masters Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 6-3 6-4
1984-05-07 Forest Hills Clay SF Ivan Lendl (USA) 6-0 6-0
1984-06-25 Wimbledon Grass SF Jimmy Connors (USA) 6-7 6-3 7-5 6-1
1984-10-15 Tokyo Indoor Carpet F Jimmy Connors (USA) 6-4 3-6 6-0
1984-11-05 Wembley Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 6-4 6-2
1985-01-07 The Masters Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 7-5 6-7 7-5
1985-03-25 Fort Myers Hardcourt F Ivan Lendl (USA) 6-3 6-2
1985-04-08 Dallas Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 6-3 2-1 ret
1985-05-27 Roland Garros Clay SF Ivan Lendl (USA) 6-2 6-3 6-1
1985-08-05 Stratton Mountain Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-0 4-6 6-4
1985-08-26 U.S. Open Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-2 6-3 7-5
1986-02-10 Boca West Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 1-6 6-1 6-2 2-6 5-2 def
1986-03-17 Fort Myers Hardcourt F Ivan Lendl (USA) 6-2 6-0
1986-08-04 Stratton Mountain Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-4 3-6 6-2
1987-02-23 Key Biscayne Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 3-6 7-6 7-6 6-3
1987-07-27 Washington Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-4 7-6
1987-08-10 Montreal Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 7-5 6-4
1987-08-31 U.S. Open Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-4 6-2 6-2
1987-11-30 New York Indoor Carpet RR Ivan Lendl (USA) 4-3 ret
1988-08-08 Toronto Hardcourt SF Ivan Lendl (USA) 6-4 6-4
1992-08-31 U.S. Open Hardcourt R64 Ivan Lendl (USA) 3-6 6-3 6-2 6-0
Ivan Lendl (USA) leads 22:13
Hard: Ivan Lendl (USA) leads 14:5
Clay: Tied 2:2
Grass: Jimmy Connors (USA) leads 2:0
Carpet: Ivan Lendl (USA) leads 6:4

【テニス史上に燦然と輝く大選手同士の対戦】

レンドルの22勝13敗。

対戦初期はコナーズ、後半はレンドルが勝ち続けた。
実にわかりやすい対戦結果になっている。

共に、一時代を築き、長い間トップに君臨した選手であり、
8歳という年齢差も二人の時代分布を明確にしている。

ターニングポイントは1983年と見ていい。
この年は2月にレンドルが初めてランキング1位を獲得している。
この2人にマッケンローを加えた「3強時代」に突入したわけだが、半年後の7月には、
コナーズマッケンローに1位の座を明け渡し、その後返り咲くことはなかった。
確実に世代交代が行われた年となったのである。

この年、2人の対戦は4度行われていて、交互に勝ちを収めている。
翌84年にコナーズが勝ったのを最後にそれ以降レンドルが実に17連勝を果たす。
2人の対戦は1992年まで続けられた。



【壮絶なストロークの打ち合い】
 
コナーズフラットレンドルトップスピン
コナーズはネットプレーもこなす器用な選手だったが
レンドルのパスがあるので基本的には強打の応酬となった。
ストロークスピードはレンドルがやや上、特にフォアハンドに差があったが
時に見せる見事な切り返しやタッチショット、タイミングを見計らったネットダッシュなどで
コナーズは若いレンドルを翻弄した。

レンドルのストロークが、強打一辺倒から多彩さを見せるようになったのは
ちょうど前述のターニングポイントを迎えた頃である。
そして、どんどんと巧妙さを加えていき、コナーズのあらゆる仕掛けに対抗していった。

ネットダッシュを読んでの巧みなパス、速くないサーブへの強烈なリターン等々。
そして、コナーズ最大の武器であるフラット系ストロークの長所を奪うため、
レンドルは深く沈むスライスショットを多用するようになった。

この傾向は後期になるほど顕著になり、
最後の対戦となった1992年の全米では、レンドルのバックハンドはほとんど全てスライスだった。

さすがのコナーズも試合後、
「あいつは本気で打ってこない。」レンドルの守備的な試合運びを非難した。

もちろんこれはレンドルだから起こる批判で、
誰も寄せ付けない強打を持ちながら、それを前面に出さずに狡猾にかわしていくというのは、
何か余裕を持たれた感じで、やられた相手としても決して気分のいいものではないのだろう。

しかし、この、相手を完全に自分のペースに引き込んでしまうのが
レンドルの戦い方であった。



【コナーズという選手】

コナーズはテニスを格闘技に変えた選手である。
テニスという競技が持っていたそれまでの優雅なイメージは
コナーズによって完全に覆されてしまった。

フォアもバックもスライスで美しく決めるのがそれまでのストロークだった。
しかしコナーズは威力重視のフラット系のショットを使いだした。
フラットは、スライスやトップスピンに比べて高低差が出にくいので
ボールをコントロールするのが非常に難しい。
しかしコナーズ天性のボールタッチでそれを可能にしてみせた。
コナーズ必殺技の一つ、ネット際でのダイビングボレーも、優雅さとはかけ離れたプレーだと言える。

また、両手打ちバックハンドが男子プロの中で市民権を得たのもコナーズが使い始めてからだ。
それまでは女子など非力な選手が使うものとして敬遠されてきた打ち方だが、
非力でない選手が使えばより強烈なショットが打てるという
至極当然な理論をコナーズが最初に実戦に持ち込んだのである。

1973年ATPランキング制度がスタートした。
そしてコナーズは3代目のランキング1位の選手となった。
 
先駆の2人、ナスターゼニューカムもたしかに素晴らしい選手であるが
事実上ATPの歴史はコナーズによって開始されたと言っていい。

その後、幾つもの記録を打ちたて、40歳を超えてもなお現役であり続けた。
最後はコナーズの呼びかけで開催されたシニアの大会が同時進行されていたので
厳密にいつが引退になるかというとよくわからないのだが、
記録上は1996年までATPの大会に出場している。



【プレースタイル】

これほど長く現役を続けていながら、
コナーズのテニスは生涯を通してほぼ不変であった。
その無理のないプレースタイルが最大の要因であろう。

ストロークは、たしかに強打を持ち込んだとはいうものの、
別にラケットを振り回すわけではなく確実にボールを捉えることを主眼としていた。
また、強サーブや猛烈なフットワークを使うタイプでもなかったので
筋力への負担は少なかったのだと言えるだろう。

フォアハンドは当時としては画期的な強打だったが、
スライスから進化したフラットとも言うべき打ち方であり、
上から叩くようなことはしないので、
後のハードヒッターと比べれば威力の面ではやや劣るショットと言える。

一方バックハンドコナーズの大きな武器で、威力も申し分なかった。
肘をたたまないフォームなので両手のままフラットとスライスを打ち分けることができた。

ボールを確実にラケットに当てる技術はずば抜けており、
信じられないようなギリギリのショットを連発することができる
世界最高のリターンを持つ選手であった。

第一の特徴はストロークだが、ネットダッシュにも積極的で、
ボレーも器用にこなすオールラウンドプレイヤーだった。
後にベッカーに受け継がれるあの豪快なダイビングボレーは見る者を興奮させた。

コナーズのショットで弱い部分があるとすれば、それはサーブである。
まず威力が弱く、そしてバリエーションが多いわけでもなかった。
ただ、コナーズの時代はハードヒットでリターンを返すということをあまりしなかったので
コースがしっかりしていて、サーブ後の動き出しもきちんとしていれば、
さほど大きな弱点にはならなかった。
もともとコントロールは正確なので、サービスダッシュをするにも不足は無かったといえる。

ストローク、ボレーを幅広くこなし、
ボールに追いつくことでスーパーショットを生み出していたコナーズにとって、
フットワークは大切な武器であった。
コナーズ自身もそれを理解していて、自身の特徴の一つとしてフットワークを挙げていた。
精力的に動くという意味においてコナーズのフットワークは素晴らしい。
しかし、後年の足の速い選手と比べてみると、決してずば抜けた快速を誇る選手ではなかった。
むしろ判断の早さ読みの深さが際立っていたと言えるだろう。


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