【レンドルvsサンプラス】

 

※データはATPより引用
Pete Sampras (USA) vs. Ivan Lendl (USA)
1990-02-05 Milan Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 3-6 6-0 6-3
1990-08-27 U.S. Open Hardcourt QF Pete Sampras (USA) 6-4 7-6 3-6 4-6 6-2
1991-02-11 Philadelphia Indoor Carpet F Ivan Lendl (USA) 5-7 6-4 6-4 3-6 6-3
1991-11-11 Frankfurt Indoor Carpet SF Pete Sampras (USA) 6-2 6-3
1992-08-10 Cincinnati Hardcourt F Pete Sampras (USA) 6-3 3-6 6-3
1993-02-15 Philadelphia Indoor Carpet SF Ivan Lendl (USA) 7-6(4) 6-4
1994-01-10 Sydney Hardcourt F Pete Sampras (USA) 7-6(5) 6-4
1994-01-17 Australian Open Hardcourt R16 Pete Sampras (USA) 7-6(5) 6-2 7-6(4)
Pete Sampras (USA) leads 5:3
Hard: Pete Sampras (USA) leads 4:0
Clay: Tied 0:0
Grass: Tied 0:0
Carpet: Ivan Lendl (USA) leads 3:1

【新旧王者対決】

サンプラスの5勝3敗。
レンドルが珍しく対戦成績でリードを許している選手だ。

ただ、最初に対決した1990年は、レンドルが1位から転落した年であり、
またサンプラスが最初にグランドスラムタイトルを獲得した年だった。
両者の年齢差11歳を考えれば、レンドルもよく戦ったといえるだろう。

この両者も、全盛期同士で対戦するのを観たかった組み合わせの一つである。

90年代以降のレンドルは、背中の故障もあって衰えが痛々しく、全く期待はずれの試合をすることもあった。
91年11月のマスターズなどはその典型的な例で、この時は実にがっかりさせられた。

ただ、それでも両者には名勝負がある。
2度目の対戦となった90年全米と、3度目の対戦91年のフィラデルフィアは
共にフルセットにもつれ込む素晴らしい試合だった。

90年全米でのサンプラスは、190km/hを超えるサーブ、フォアの強打など
レンドルのお株を奪うプレーの連続で周囲を驚かせた。
この時は、前半調子の出なかったレンドルが焦れる様子も見られ、
5セットの接戦だったとはいえ、サンプラスが終始勢いで押した試合だった。

一方、91年のフィラデルフィアは、
立ち上がりから両者がっぷり四つの激しいラリーの応酬となった。
個人的にベストマッチはフィラデルフィアだが、今となっては、
若きサンプラスの豪快なプレーが観られる全米にも懐かしさを感じてしまう。

この時サンプラスは全米初優勝を飾るわけだが、
準決勝や決勝よりも、このレンドルとの準々決勝こそが一番のハイライトだったといえる。
レンドルの9年連続決勝進出を拒んだ記念碑的な勝利であり、事実上の決勝といえる試合だった。
確実に新しい時代を予感させた一戦だったのだ。



【師弟関係?】



2人は師弟関係という言われ方をすることがある。

レンドルは、有能な若手を自宅に呼んで合宿を組むということをよくやった。
その内容は、ほとんどの選手がトレーニングの激しさに音を上げるという過酷なものだったようだが、
サンプラスもそのレンドルに選ばれた若手の一人だった。1988年の年末の出来事だ。

期間は一週間だったが、サンプラスレンドルの練習に最後まで付き合うことができた。
レンドルは若いサンプラスを、才能があることを認めた上で「進んで熱心に練習する選手ではない」と評した。
しかし、その後も何かと目をかけ、サンプラスの試合結果なども気にしていた。

一方のサンプラス「試合に向けてどう準備をし、1位としてどうあるべきかを教えてもらった。」
レンドルとの練習が意義深いものであったことを認めた。
サンプラスにとってレンドルは小さな頃からのアイドルであり、尊敬する選手だったのだ。

前述の90年全米で両者が対戦する前に、レンドルシュティッヒと対戦してこれを下しているが、
サンプラスはその試合を観て、自分と同タイプのシュティッヒレンドルに善戦する姿から、
既にかつてのレンドルではないことを感じとり、勝てるチャンスがあると確信したと語っている。

試合後、次のマッケンロー戦にサンプラスが勝てるかという質問をされたレンドル
ひととおり冷静な分析をしてみせた後、しばらく沈黙し、
「正直に言うと自分はサンプラスが好きだから、彼が勝つと言いたい。」と答えた。

このように、師弟関係というのは大げさなわけだが、
両者に深い結びつきがあったのは事実である。

そしてテニス界は、長かったレンドル時代から、
同じだけ長いサンプラス時代に突入していくことになる。



【サンプラスの強さと弱さ】


サンプラスの栄光は疑う余地の無い素晴らしいものだ。

まず、なんと言ってもグランドスラム優勝回数14回という数字は2009年にフェデラーに抜かれるまで1位であった。
また決勝進出回数は18回で、これもフェデラーによって更新されるまで
レンドルの19回に次いで2位だったが、レンドルがそのうち8勝しかしていないことを考えれば、
サンプラスの強さは抜きん出てるといえるだろう。また、1位在位週286週というのも歴代1位である。

グランドスラム優勝回数と1位在位週。これだけで、サンプラス史上最強と呼ばれるに相応しい選手だといえる。

これほどの他を圧倒する成績を持つサンプラスだが、いくつかの穴も見える。
全体的にハイレベルであることを前提にいくつかの気になるデータも見てみよう。

まず、グランドスラム勝率(84.23%)に比べて、生涯勝率(77.44%)が格段に低い点だ。
7%もの差がある。この差は、あのビランデルにも匹敵する数字である。

サンプラスのグランドスラムでの成績は見事と言うほかないが、
テニスのデータはそれだけでは終わらない。グランドスラムは最も大きな大会であることは事実だが、
年に何十もある大会の中の4つにすぎないということも理解しておく必要があるだろう。

またサンプラスは、その圧倒的に強いイメージのわりに、
年間成績をみると、傑出したものを残してないことがわかる。年間勝率の最高は86.5%にすぎなかった。
レンドルが5回、コナーズボルグが3回90%を達成していることを考えると物足りない数値だといえる。
サンプラスの強さは当時一番だったとはいえ、よく負けていたことも事実なのだ。

 
もう一つ、サンプラスの穴として決定的なのがクレーコート勝率の低さだろう。
例えばレンドルは、苦手のグラスでも勝率76.4%を記録しており、最終的に優勝しなかったとはいえ、
ウィンブルドンでは毎年優勝候補に挙げられていた。準決勝進出が7回というのも安定感を表している。
一方のサンプラスは、クレー勝率62.5%とかなり低く、全仏で優勝候補になることもなかった。
準決勝進出が1996年に一回あるのみで、1回戦敗退や2回戦敗退も多く経験している。

安定して負けなかったレンドルと、
勝つときはより勝ったが、負けるときも多かったサンプラスという違いになる。

ただサンプラスには、華々しく勝利を飾るスター性があった。
それはレンドルはもちろん、他の全ての選手を大きく上回るものだったと言っていい。
「テニスのキャリアを、グランドスラムの優勝で終わらせた選手」
などというのは後にも先にもサンプラスただ一人であろう。



【プレースタイル】


90年代を代表するプレースタイル。ビッグサーブを主体としたオールラウンドプレイヤー。

特にサーブサンプラス最高のショットだ。スピードのみならず、コースと球種が豊富で、
エースを取るもよし、ボレーにつなげるもよしという実に効果的なショットだった。
ボレー技術も一流だったのでサーブからの一連の攻撃という点においては史上最高であった。
セカンドサーブも世界一といわれるに相応しいもので、平均スピードは100mph(160km/h)を超えていた。

 
ネットプレーに関しては、やわらかなタッチもあったがそれを多用するタイプではく、
威力のある球をバシっと決めていくことが多かった。
ボレー能力が全体的に素晴らしかったのはもちろんだが、
なんといってもサンプラスには、スマッシュという必殺技があった。
特にチャンスボールでのジャンピングスマッシュは圧倒的で、
そこまでする必要があるのかというほど強烈に叩きつけるものだった。
呼び名も通常のものと分けるためダンクスマッシュフライングスマッシュなどと言われた。

現役時代のサンプラスは、その強さから、
ネットプレイヤー以上のネットプレーを持ち、ストローカーより強いストロークを持つといわれた。
しかし、今の基準でいえば、やはりネットプレイヤー寄りだったといっていいだろう。

サンプラスのストロークは、総合的に見ればストローカーのものではなかった。
ただ、ストローカーより強いといわれる要素もたしかにあった。

 
例えば、アガシと対戦したある全米の試合の時には、解説が何のためらいも無く、
「ストロークについてはアガシのほうが速いです」と言っていたが、
これは明らかにおかしく、少なくともフォアハンドに関してはサンプラスのほうが速かった。
「この解説おかしくないか?」と思った人もきっといたはずだ。

サンプラスのフォアは、確実にアガシのそれより速かったが
ストローク力とは、ボールスピードのみで決まるものではない。
球の重さ、広角に打てる範囲、押し込まれても打ち負けない返球、相手ペースになったときの粘り、
チャンスを作り出す組み立て等々、やはり総合的な力ではアガシがリードしており、
ストローク戦になれば、多くの場合アガシがポイントを取った。

ただ、サンプラスは派手で豪快なショットを決めるので、
両者の実力差以上にアガシよりも強いと感じた人も多かったのではないだろうか。
解説も、その辺をしっかり説明する必要があったように思う。


フォアについては、チャンスボールを叩く強打の他に、クロスへのランニングショットが必殺の武器だった。
この、ネットすれすれをハイスピードで越えてギリギリに決まるショットは、他に類がなく、
ランニングショット史上最高のものといっていいだろう。サンプラスの薄めのグリップが可能にした奇跡のショットだ。
サンプラスのフォアはこの薄いグリップのために、ライジングでの強打や広角へのショットには向いていなかったが、
代わりに最高のランニングショットを手に入れたことになる。

バックハンドは、フォアに比べると威力に劣るショットだった。
片手打ちとしては水準レベルを保っていたが、最高級のものではなかったといえる。
ただしペースを使った切り返しはさすがにうまく、後年には精度も高まっていった。

またサンプラスは、スライスを効果的に使った選手だ。フォアでもバックでも多用した。
ショットそのものはエドバーグのように完成されたものではなかったが、
使いどころが上手く、アプローチやリターンでの浅めのショットが特に有効だった。


初期のサンプラスはこのショットを持っておらず、リターン力の低さが指摘された。
特にグラスコートでは致命的とされたが、その後、このショットを極めて
ウィンブルドン最強選手となったことは言うまでも無いだろう。

足は、このタイプとしてはかなり速く、ストローク戦においてアガシと互角に渡り合えるものだった。
またそれ以上に前に出るスピードが素晴らしく、リターンダッシュが非常に上手い選手だった。

弱点とされる部分もある。メンタル面だ。集中力を切らしたときのサンプラスはよく崩れた。
ネットプレイヤーは全般的にこの傾向にあるので仕方がないが、粘りが必要なクレーに向かなかったのは事実だ。


一方で集中しきったときのサンプラスは最強だった。グランドスラム勝率の異様な高さも納得できる。
2002年のサンプラスは、それまで17の大会に出て1つも優勝できず、勝率は54%という非常な低調ぶりだった。
しかし、最後の全米でだけは、ロディックアガシといった強敵を次々に撃破して優勝してしまったのである。
これこそがサンプラスの凄さだったといっていい。


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