【レンドルvsボルグ】

 

※データはATPより引用
Ivan Lendl (USA) vs. Bjorn Borg (SWE)
1979-08-13 Toronto Hardcourt SF Bjorn Borg (SWE) 6-3 6-1
1979-09-14 Davis Cup SWE vs. TCH Clay RR Bjorn Borg (SWE) 6-4 7-5 6-2
1980-03-31 Monte Carlo Clay R16 Bjorn Borg (SWE) 6-2 6-2
1980-08-11 Toronto Hardcourt F Ivan Lendl (USA) 4-6 5-4 ret
1980-10-13 Basel Indoor Hardcourt F Ivan Lendl (USA) 6-3 6-2 5-7 0-6 6-4
1981-01-12 New York Indoor Carpet F Bjorn Borg (SWE) 6-4 6-2 6-2
1981-05-25 Roland Garros Clay F Bjorn Borg (SWE) 6-1 4-6 6-2 3-6 6-1
1981-07-13 Stuttgart Clay F Bjorn Borg (SWE) 1-6 7-6 6-2 6-4
Bjorn Borg (SWE) leads 5:2
Hard: Ivan Lendl (USA) leads 2:1
Clay: Bjorn Borg (SWE) leads 4:0
Grass: Tied 0:0
Indoor: Bjorn Borg (SWE) leads 1:0

【70年代最強のストローカーと80年代最強のストローカーの対決】

ボルグの6勝2敗。
しかも一度はボルグが途中で棄権しているので
レンドルが勝ったのは実質一回だけだった。
対戦だけを見ればボルグの圧勝と言えるだろう。

しかしこの2人の場合、このデータだけでの比較は不完全だと言える。

レンドルは言わば遅咲きの選手である。その強さが際立つのは80年代後半だ。
一方のボルグはと言うと、1981年には第一線を退いてしまう。

1981年といえば。
実に19度のグランドスラム決勝進出という大記録を打ち立てるレンドルが、
最初に決勝に進出した年のことである。(そしてその相手がボルグ!)
いわばキャリア最初期の頃だ。

結局、ボルグは強くなったレンドルとは対戦していないのである。
最強同士の壮絶なストローク戦を一度は見てみたかったというのは
叶わないとはわかっていてもテニスファンの願いの一つではなかろうか。

ちなみにボルグは、既に1979年の段階で有能な若手としてレンドルの名前を挙げている。

※参考までに
 エキシビジョンマッチで、この二人は何度か対戦しているらしい。
 その対戦ではレンドルも結構勝っているとのこと。
 (正確なことがわからないので、ご存知の方情報をお寄せ下さい。)

 一般に、ボルグは1981年引退と言われているが、
 その後1984年まで、年に1〜2の大会に出場しており、
 厳密にいつが引退なのかと言うとよくわからない。
 しかも1991年には現役復帰を明言していくつかの大会にも出場している。
 1982年以降の成績は3勝15敗と、かつての面影はなく
 このようなサイトを作っている人間にとっては、キャリアに少々傷がついた感じで残念に思えてしまう。



【ボルグという選手】

このサイトのデータ分析をつぶさに見ている人なら
(そんな物好きの方が果たしていらっしゃるのかしら? 大歓迎なんだけど)
「ボルグ最強説」でいいのではと感じることも多々あるのではなかろうか。
それほど、ボルグの強さは如実にデータとして表れている。

ボルグは紛れもなく当時最強のストローカーだった。

ストローカーはたくさんいるが、その時代の最強の選手を見つけ出すのは簡単だ。
ストローカー同士の対戦を見れば一目瞭然である。
ネットプレイヤーや癖のある選手を苦手とする例があっても
同タイプには常に勝てるのが最強ストローカーなのだ。

《ボルグの主要ストローカーとの対戦成績》
ナスターゼ8勝4敗
ビラス17勝5敗
オランテス10勝3敗
パナッタ9勝6敗
ラウル・ラミレス10勝4敗
ディブス13勝0敗
ソロモン15勝0敗
ヒゲラス9勝1敗
クレルク4勝0敗
となる。これを見ても圧倒的なのがわかる。

しかし、これほどまでに強かったボルグも、引退時期はあまりにも早かった。
1981年にあっさりと身を引いてしまう。25歳という若さだ。
この年のボルグは、全仏でレンドルとの5セットの激戦を制して優勝、
ウィンブルドンでは決勝でマッケンローに惜敗、
全米でもやはり決勝でマッケンローに敗退という成績だった。
マッケンローに負けた2戦はいずれも第1セットを取りながらの逆転負けだった。
しかし、全て決勝進出であり、
マッケンローが迫ってきていたとはいえ、
まだまだ全盛期と言っていい時期だった。

この早すぎる引退が、少なくともこのサイトでは
ボルグを最強としていない最大の理由となっている。
長く活躍することも強さの条件だと言えるからだ。



【では、ボルグがもう5年、10年と現役を続けていたら】

果たして更なる大記録を打ち立てたのだろうか?

もちろん真相はわからない。
しかし、80年代後半に押し寄せるスピード&パワーテニスの流れに
ボルグのプレースタイルは必ずしもマッチしてたとは言い切れないのではなかろうか。

 
ボルグと同時代に活躍し、互角に戦ってきたコナーズマッケンロー
彼らのテニスは80年代後半になると通用しなくなっていった。
もちろん彼らは、天才であり勝ち方も知っていたのでそれでも勝つことができたが
スタイルとしては確実に古いものになっていた。
依然として強かったものの「最強」ではなくなっていたのだ。


サンプラスが、
伝説の一戦、1980年ウィンブルドン決勝ボルグvsマッケンローを見て、
「両者に対する尊敬は変わらないが、スローモーションを見ているようだ。」
といった言葉がそれを象徴している。

   
後の時代でも、マイケル・チャングスタボ・クエルテンレイトン・ヒューイットといった
決してパワーを武器にはしていない選手が活躍している。
そのことから、ボルグがいつまでも最強だった可能性も当然ある。

ただ事実として言えることは、
ボルグはあの時期に引退し、そして伝説になったということである。



【プレースタイル】

ボルグは、ショットの完璧な選手だったと言われる。
それぞれの球は、現在の基準から言ってしまうと決して速くはないが、
隙がなく、コントロール安定感、そして粘りが驚異的だった。

フォア、バック共にトップスピンを主体とし、
このタイプの選手としては異例とも言えるほど低めの球に強かった。
そのため、クレーコートでもグラスコートでも同じように戦うことができた。

安定したショットで相手に決め球を打たせず、
自分のペースに持ち込むことで勝ちパターンを作っていた。
かといってただミスを待つというのではなく、
相手を崩したら最後にバシっと決めるところなどは、
他の粘りだけの選手とは一線を画してたといえる。
あの決めのバックハンドに憧れた人も多いだろう。

ただ、上から振り下ろすようなショットを持っていたわけではないので、
高めの球に対する適性はそれほどでもなく、
高くバウンドするハードコートでの勝率は意外にも低めだった。
(※【コート種別検証】でも取り上げている内容なので参照のこと)

フットワークも非常に優れていた。
現在の基準からするとそれほど群を抜いた速さには感じないが、
当時としては別次元のスピードを誇っていたといえる。
この辺は時代の流れによるスタイル変化の影響もあるのだろう。

時にはネットに出て、無理かと思われるような球に飛びついてボレーを決めることもあった。
サーブも、エースは多くはないが安定していた。
正に弱点のない選手だったと言えるだろう。

ただ、後の選手たちと比べると強烈な決め球があったわけではないので、
例えばゲーム化したときなど、特徴を出すのに困る選手の一人といえるかもしれない。


【コラム】【対決!コナーズvsボルグ】も要チェック!

戻る


このページに対するご意見等は まで。